この原稿を書いている時期は、ちょうどM1(大学院1年目)の皆さんが大学外の医療施設や福祉施設などでの実習を終える頃であり、毎年のことではあるが、この時期になると私自身が大学院生であった時の実習の思い出が想起される。当時の大学外実習は大学の単位にはならなかったため、あくまでも任意であり、各院生が自分の興味関心に基づいて自由に実習先を選ぶ形であった。私は地元の精神科病院を選び、約1年間、今のM1のように決まった曜日に朝から夕方までデイケアでお世話になった。デイケアに来られるメンバーの皆さんと一緒にご飯を作ったり、ゲートボールをしたり、シンプルに楽しい時間を過ごしていたと記憶している。
その中で、忘れもしないが、実習最終日の昼休みに私が今日で実習が最後であることを話していると、一人の男性メンバーが急に何も言わずにその場を立ち去ってしまった。何があったのかと不思議に思っていると、5分程でその場に戻ってきた彼の手にはボールペンが握られてあり、私に「これ、お世話になったから」と渡してくれたのである。彼は私が実習最終日であることを聞き、わざわざ近くのコンビニに走ってボールペンを買ってきてくれたのである。患者さんからの贈り物を受け取るかどうかという倫理的な事柄がその場で私の頭をかすめることは残念ながらなく、私は驚きながらも「ありがとうございます」と言ってそのボールペンを受け取った。当時の私は単に嬉しい気持ちと感動だけを覚えていたものだが、時が経つに連れて、また別の考えも浮かぶようになっているが、それは皆さんのご想像にお任せしようと思う。当たり前のことであるが、私が実習中に彼に対して何かをしたわけでは決してなく(できるわけもないが)、むしろ私の方が彼から生い立ちや症状のこと、将来のことなど、本当にいろいろな話を聞かせてもらい、多くのことを学ぶことができた。私が彼に感謝こそすれ、彼が私に感謝するようなことは何一つなかったといってよい。それでも彼は私にボールペンを買ってきてくれた、ということに多くの意味が含まれているのだろうと思う今日この頃である。