日本の社会でこれほどまでに心の悩みというテーマがクローズアップされてきたのは、何時のころからでしょうか。
臨床心理士資格ができた1988年といえば昭和の終わりの時期になります。このころに消費税が導入され、プラザ合意以降の円高不況の顕在化、バブル崩壊と進みました。同時期、自殺者の増加なども社会の大きな話題となっていました。人が社会的な生き物として、こうした影響を受けてきたといえます。こうした時代の要請として心の支えを行う心理士/カウンセラーという職種が求められたと理解できます。ある一面で時代の暗さを照らす光のように、社会の救済者かであるかのように脚光を浴びたのが臨床心理士という存在でもあったわけです。
このような社会のイメージは、現在でも多少残っているように感じます。心理士になりたいと志す人のなかにも、こういった職業イメージを感じて憧れを抱く方もいると思います。しかし私は心理士という職業が社会から必要とされることに戸惑いを覚え、人々から求められることがそれほど良いことではないと感じております。なぜなら、私たちが必要とされる背後には、相談する一個人の悩みばかりではなくて、総体としての社会の病んだ現実があると感じるからです。世の中に悩みや困りごと相談がたくさんあり、それを請け負う職業人が求められ、職業が成り立つとしたならば、どうでしょうか。行き場のない心の悩みの受け皿を資格化し、制度化し、社会化していく。その因果な商売の現実を感じないでいられないのです。ですから、私にとっての理想は心理士の役割が縮小するような社会、心理士がさほど必要とされなくなっていく社会になることです。(実際の心理士の業務は、悩み事相談にとどまらない広範囲のものなので仕事自体がなくなることはありません。)そんなことを夢想しながら、自分の臨床が少しでも健やかな社会の実現につながればと願いながら取り組んでいます。