心の手帳 45号(2014年10月)

日々のなか

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 夏があっという間に過ぎ去って、日が沈むのが早くなり肌寒い季節になってきました。
 晴れ渡った空とはうって変わって、鈍色の空が続く日もあります。気分もどんよりし、外に出るのもおっくうになりがちなものです。
 けれども、そっと辺りを見回せば木々は色づきはじめ、そのグラデーションに目を魅かれます。落ち葉の間を見ると、かわいらしいどんぐりたちが顔を覗かせ、童心がよみがえってきます。  ポケットいっぱいにどんぐりを詰め込んで、お家に持ち帰ったことのある方もいるのではないでしょうか。
 雲のかかった鈍色の空も、眺めていると雲の切れ間からすうっと覗く日差しや月の美しさに気づきます。  特に、雲から顔をのぞかせた満月が周りの雲の際を銀色に照らし出す光景は、凛として味わい深いものです。
 肌寒くからだもこころも強張りがちな季節ですが、日々のなかの季節の変化と普段気づかないいちいさな発見に心動かされ、解きほぐされるような気持ちになります。
 寒くてどんよりした気分の日は、いつもとちょっと視点を変えて過ごしてみてください。気分を変えてくれるほっこりしたものに出会えるかもしれません。

老犬コンタ君と老いる人

葛西 俊治〔心理臨床センター研究員?臨床心理学科教員〕
 我が家の愛犬コンタ君もずいぶんと年を取りました。
 歯が抜けて老犬用の小粒のドッグフードも食べづらいとか、そろそろオムツが必要だとか、そういったことはコンタ君にも耳の痛いことなのであまり書かないことにします。
 15歳というと人では90歳にもなろうという高齢犬ですが、家に来たころとあまり変わらず小さいポメラニアンなので、散歩に行くと周りの人に相変わらず「可愛いね」と言ってもらえます。 吠えもせず、ジタバタせずにたたずんでいるので、私も周りも穏やかな気持ちになります。
 
老犬コンタ君1
 
 親戚の老人で「年取って良いことは何もない」と言った人がいました。  年を取ると物事ができなくなるので確かに良い感じはしないものです。しかし、「鈍感力」という言葉がはやった頃から「鈍感」が大事な能力であることも分かっています。  若いころは鋭く心に食い込んできたことがあまり突き刺さらなくなってきた、気にならなくなってきた…。 これが鈍感力ですね。

 気にならないで見ると何一つ本質的に大事なことはなく、「まあまあそんなところで良いではないですか」と寛大な気持ちになります。  何かが出来なくともそれほど大きな問題ではなく、多少差し障りがある程度という訳です。
 とりあえずは社会の流れに合わせて、正しいこと?大事なこと?駄目なことをきちんと判断して生活していますが、実のところはあまり気にならなくなっています。 こういうのをサトリというのかもしれません。
 心の海の深みに少しずつ向かっていくのは、少々ドキドキする良い感じです。
 先日、Bianchiのドロップハンドルの自転車で小樽からの下り坂の国道を爆走したことがありました。  時速60kmくらいも出ていたと思いますが、若い頃、ロードレーサーで爆走した際の興奮はなく、全身に響く道路の振動を静かに感じていました。  老境…ということですね、きっと。
老犬コンタ君2

実習生(大学院生)のつぶやき

 「ありがとう」っていう言葉
なんか、あたたかくて、ほっとして、癒される魔法の言葉だと思いませんか?
 私は何十年も前になりますが、小学校の卒業式で校長先生がお話してくれた言葉を大切にしています。
 『ありがとうの「あ」は、あの人?この人と思い浮かべる。「り」は隣人?地域の人に。「が」は学校の先生?職員さんたちに。「と」は友達に。「う」はうちの人(両親?兄弟。祖父母)に。そして、最初に戻って「あ」はあなたたち自身によく頑張っているね。と褒めてあげよう!』
 余裕がなくなると、つい自分を見失いそうになる時があります。そんな時は自分に「ありがとう」って言ってみませんか?
(H.T.)
 
 
イラスト:ふわふわ。り 
挿絵